大阪地方裁判所 平成9年(ワ)8385号 判決 1999年1月28日
大阪市中央区本町一丁目七番一号
三星本町ビル八階
原告
株式会社コスモトランスライン
右代表者代表取締役
岡村和吉
右訴訟代理人弁護士
原田裕彦
大阪市中央区南本町一丁目二番七号
被告
株式会社オーシャンリンクス
右代表者代表取締役
市村繁夫
神戸市垂水区千代が丘二丁目一番七五号
被告
市村繁夫
右両名訴訟代理人弁護士
田渕学
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、別紙顧客目録記載の者に対し、面会を求め、電話をし、又は郵便物を送付するなどして、利用運送契約の締結、締結方の勧誘又は同契約に付随する営業行為をしてはならない。
二 被告らは、利用運送契約の締結をしようとし、又は同契約に付随するサービスの提供を求めて被告ら宛来店あるいは電話連絡をしてくる別紙目録記載の者に対し、利用運送契約の締結、締結方の勧誘又は同契約に付随する営業行為をしてはならない。
三 被告らは、別紙顧客目録記載の顧客名簿を第三者に開示使用させてはならない。
四 被告らは、別紙顧客目録記載の顧客名簿の写しを廃棄せよ。
五 被告らは、原告に対し、各自金一二九二万円及びこれに対する平成九年八月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 事実関係(当事者間に争いがないか、弁論の全趣旨)
1 原告は、貨物運送取扱業、貨物運送取扱事業法に基づく第一種利用運送事業(外航海運)等を目的として、平成二年五月二九日、設立された株式会社である。
2 被告市村繁夫(以下「被告市村」という。)は、平成二年七月二一日に原告に入社し、平成八年一二月三一日に退職するまで、登記はされていないものの取締役営業部長の肩書きで営業等の職務に従事していた。
3 被告株式会社オーシャンリンクス(以下「被告オーシャンリンクス」という。)は、被告市村が代表取締役となって、利用運送業、海陸空複合運送事業の代理業等を目的として、平成八年一〇月一四日、設立された株式会社である。
被告オーシャンリンクスは、現在、船荷会社からコンテナ(一台二五m3ないし四〇m3の大きさ)を借り受けて、各貿易会社から受注した荷物を右コンテナに積んで東南アジア及び台湾に輸送するという業務を行っている。
4 被告市村が原告を退職した後、訴外坂井清利、大富理香及び魚井陽子(以下「訴外坂井等」という。)の三名が原告を退職し、被告オーシャンリンクスに入社している。
二 原告の請求
原告は、
(一) 被告市村は原告を退職する際に別紙顧客目録記載の顧客名簿(以下「本件名簿」という。)を持ち出して使用し、又は被告オーシャンリンクスに開示しており、右市村の行為は不正競争防止法二条一項七号の「不正競争」に当たる、
(二) 被告市村は原告在職中に被告オーシャンリンクスを設立し、また、訴外坂井等に被告オーシャンリンクスに移籍するよう勧誘したり、更には原告に対する誹謗中傷行為を行ったのであり、かかる行為は競業避止義務違反による債務不履行又は不法行為を構成する
と主張して、被告市村に対して、同法三条に基づき本件名簿の使用の差止め、返還、廃棄を求めるとともに、損害賠償及び訴状送達の日の翌日である平成九年八月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、
被告オーシャンリンクスは被告市村が持ち出した本件名簿を使用して営業活動を行っており、右被告オーシャンリンクスの行為は不正競争防止法二条一項八号の「不正競争」に当たり、また、被告市村の前記不法行為は被告オーシャンリンクスの代表者としてしたものであると主張して、被告オーシャンリンクスに対して、同法三条に基づき本件名簿の使用の差止め、返還、廃棄を求めるとともに、損害賠償及び前同様の遅延損害金の支払を求めるものである。
三 争点
1 本件名簿は、不正競争防止法二条四項にいう「営業秘密」に当たるか。
2(一) 被告市村は、本件名簿を持ち出し、不正の競業等の目的で本件名簿を使用しているか。
(二) 被告オーシャンリンクスは、本件名簿を使用しているか。
3 被告市村は、原告に対して、競業避止義務違反又は不法行為を構成する行為を行ったか。
4 被告らが原告に対して損害賠償義務を負う場合に支払うべき金銭の額。
第三 争点に関する当事者の主張
一 争点1(本件名簿は、不正競争防止法二条四項にいう「営業秘密」に当たるか)について
【原告の主張】
本件名簿は、事業活動における有用性、秘密管理性及び非公知性を備えており、不正競争防止法二条四項にいう「営業秘密」に当たる。
1 有用性
本件名簿は、次の(1)及び(2)の点において、事業活動上有用な情報である。
(1) 原告に積み荷実績のある貿易業者のみで構成されている。
日本の利用運送事業者の中には、相手先の港が全世界で、輸入、輸出のいずれの業務も取り扱っている業者もあるが、原告及び被告オーシャンリンクスのような大半の中小の利用運送事業者は、それぞれ自分の得意分野をもち、それを伸ばすことによって業務の拡大を図っている。それぞれの得意分野は、得意としている航路すなわち契約している船会社の航路及びその運送品が輸出であるのか輸入であるのかによって決まる。
原告の場合、東南アジア向け航路及び台湾航路を得意としており、本件名簿に記載されているのは、原告に積み荷実績のある貿易業者一九二社で、現実に、東南アジア及び台湾向けの輸出品を有する顧客であって、原告及び被告オーシャンリンクスの営業活動に直結する貿易業者のみである。被告らは、大阪市貿易業者名簿の存在を上げて、貿易業者の名称、住所など誰でも知り得るのであるから、本件名簿は事業活動に有用な情報ではない旨主張する。しかしながら、右貿易業者名簿には約四〇〇〇社の貿易業者が記載されており、その中から、東南アジア及び台湾向けの運送品を有する貿易業者一九二社を選別するのは至難の業であるし、仮に可能であったとしても、恐ろしく手間と費用がかかることは想像に難くない。これに対して、本件名簿に記載されている貿易業者は、原告に積み荷実績があるのであるから、勧誘を行えば成約へと結びつく蓋然性が高いのである。したがって、本件名簿は、利用運送というサービスの販売、費用の節約、経営効率の改善等、現在又は将来の経済活動に役立てることができるし、これを使用することにより他の事業者より競争上断然有利な地位に立つことができるのであるから、事業活動上有用な情報である。
(2) 担当者名が記載されている。
本件名簿には、顧客の担当者名が記載されている。未知の顧客に電話する際に、担当者名を告げて呼び出す場合と、受付を通じて単なる一見(いちげん)として担当者に取り次いでもらう場合とでは、応対が異なることは営業を経験したものであれば誰でもわかる話である。新規の顧客を勧誘する際は、担当者に電話をつないでもらうまでに一苦労があるのであるが、担当者の名前を知っていれば、電話をつないでもらえないということはまずないし、自分の名前を知らない相手からかかってきた電話の応対と、自分の名前を知ったものからの電話の応対は異なる。まして、相手が原告に積み荷の実績があることを知っておればなおさらである。
2 秘密管理性
原告代表者は、営業会議の際など、折に触れ、本件名簿の内容の重要性に鑑み、本件名簿は部外秘であるから取扱に注意するように周知徹底していた。本件名簿の所持を許されていたのは、原告代表者、総務部長、被告市村及び営業担当者二名のわずか五名で、これら五名はそれぞれ本件名簿を管理していたのであって、机の上に放置していたことはないし、他人の机の書類入れを勝手にのぞくというようなことは、社会常識からしてもあり得ない。したがって、原告社員であれば、本件名簿を誰でも自由に閲覧できたということはないし、右五名以外のものは本件名簿を閲覧することはできなかった。
3 非公知性
営業秘密における非公知性とは、一連のまとまりをもった体系的情報(たとえば一定の目的で作られた顧客名簿)が非公知であれば足りるのであって、この体系的情報を構成する個々の要素(顧客名簿を構成する個々の顧客の住所氏名)が公知であっても差し支えない。本件名簿は、原告に積み荷実績のある顧客というまとまりをもった体系的情報であるので、個々の貿易業者の名称・住所自体が公知であってもなお、非公知性を有する。
被告らは、会社名、住所、電話番号、担当者名程度が書かれたものであれば、船荷証券発行担当者も「運賃リスト」として所持していたから、本件名簿は秘密性が高くないと主張する。しかしながら、原告の「運賃リスト」は、住所、担当者名は記載されておらず、船荷証券発行の際の運送賃決定の資料とするためのまとまりをもったものとして体系的に構成されているのに対して、本件名簿は、顧客との新規あるいは継続取引の確保という営業のための資料としてのまとまりをもったものとして体系的に構成されているのであって、作成の趣旨目的が異なる。しかも、「運賃リスト」は、船荷証券発行担当者二名のみが所持を許され、荷送人毎の運送賃その他の取引に有益な情報が記載されているので、「運賃リスト」自体が営業秘密である。したがって、「運賃リスト」の存在をもって、本件名簿の秘密性が低いことにはならない。
【被告らの主張】
本件名簿は、有用性、秘密管理性及び非公知性のいずれも備えておらず、不正競争防止法二条四項にいう「営業秘密」には当たらない。
1 顧客開拓等の営業活動は、本件名簿によらずとも、大阪市貿易業者名簿等によって行うことも可能であるし、現に、被告オーシャンリンクスは大阪市貿易業者名簿を利用して営業活動を行っている。
原告は、右大阪市貿易業者名簿には、約四〇〇〇社もの貿易業者が掲載されており、その中から東南アジア及び台湾向けの運送品を有する貿易業者一九二社を選別するのは至難の業であると主張するが、右名簿には、輸出、輸入、国内の別の外、輸出先、輸入先等の別まで詳細に記載されているし、被告市村自身、原告に在職中、右名簿の記載を頼りに営業活動を行って得意先を開拓していた。確かに、右名簿には、名社の宣伝活動の一環として、輸出先、輸入先等を誇大に掲載している場合もあるが、そもそも営業活動は、実際に当該貿易業者に出向いて、現実の輸出先、輸入先を確認し、仕事を回してくれるようにお願いしたり、自社の配送スケジュールを持参して、当該貿易業者が、将来新たに輸出、輸入を展開する際には自社に仕事を回してほしい旨依頼するものであり、くまなく営業活動した結果得意先を開拓していくのであるから、名簿の記載に誇大なものがある場合があるからといって、右名簿が無意味なものにはならない。
また、原告は、本件名簿に顧客の担当者名が記載されている点を強調するが、被告オーシャンリンクスでは、営業活動の際、担当者名が不明でも、担当者に電話をつないでくれるよう依頼すれば即座につながれたし、アポイントメントを取っておけば当該営業担当者も面談をしてくれたのであって、担当者名を知らなかったが故に原告が主張するような対応を受けたことは一度もない。すなわち、担当者名が記載されているからといって、本件名簿が有用なものとなるわけではない。
2 本件名簿は、会社名、住所、電話番号、担当者名を手書きしたもので、そのコピーを被告市村の外、原告代表者、総務部長、営業担当者二名の計五名が所持していたが、これら五名は、本件名簿を各自の机の上に放置したり、書類入れの中に保管しており、原告社員であれば誰もが自由に閲覧可能な状態にあった。
また、原告代表者が、営業会議の際などで、本件名簿の取扱に注意するように話したことはない。
しかも、会社名、住所、電話番号、担当者名程度の内容が書かれたものであれば、右五名以外の業務担当者、例えば船荷証券発行担当者等も、「運賃リスト」として所持していた。
3 本件名簿に記載されている個々の貿易業者の名称、住所、電話番号は、公知の事実であり、また、前記1のとおり、担当者名を知らないが故に原告が主張するような対応を受けたことはなく、担当者名を知っていることはさほど有用な情報ではないから、担当者名が記載されているからといって要保護性が高くなるわけではない。
二 争点2(一)(被告市村は、本件名簿を持ち出し、不正の競業等の目的で使用しているか)及び争点2(二)(被告オーシャンリンクスは、本件名簿を使用しているか)について
【原告の主張】
次の点を総合すると、被告市村は、本件名簿を持ち出し、不正の競業等の目的で使用し、また、被告オーシャンリンクスは、本件名簿を使用しているというべきである。
1 本件名簿は、原告代表者の外、被告市村、総務部長及び営業担当者二名の計五名のみが所持を許されていたところ、被告市村は、原告を退職するに当たって本件名簿を返還していない。
被告市村は、本件名簿を原告を退職する際廃棄したと主張するが、退職するに当たって本件名簿が必要ないのであれば、返還すれば足りるのであって、廃棄する理由は全くなく、廃棄したというのは不自然である。
2 被告オーシャンリンクスは、少なくとも業界主要雑誌に広告を掲載するという方法による、広告宣伝活動を一切していない。被告オーシャンリンクスの営業は、三名の営業担当者が、電話帳等を元に電話をしたり、自転車で回ったりする程度であるにもかかわらず、被告オーシャンリンクスの荷主は、香港向けの場合、その七〇%が本件名簿記載の貿易業者である。
3 被告市村は、原告在職中に被告オーシャンリンクスを設立し、原告社員である栗田を通訳として同行させて、台湾、香港、シンガポールの代理店を訪問し、仕事を回してくれるように依頼したり、原告を退職するに当たって、被告オーシャンリンクスを設立して利用運送業を行うことを隠し、体の調子が悪いから休養するなどと退職理由を偽った。
【被告らの主張】
被告市村らは、本件名簿を使用していない。
1 被告市村は、原告を退職するに当たって本件名簿を廃棄したので、原告に返還していない。
2 被告オーシャンリンクスの扱っている運送品が、原告と同じ東南アジア及び台湾向けであることは認めるが、このことは被告オーシャンリンクスに限ったことではない。大阪及び神戸にある約一〇〇社の同業者の約九〇%以上が東南アジア及び台湾向け航路の輸出運送品のみを扱っている。これは、アメリカやヨーロッパ向け航路の輸出品については、そのほとんどが既に大手海運会社が独占している状態にあるところ、大手海運会社の場合、自ら船舶を所有し、直接荷主との間で取引を行うことができ、また、長い歴史を有しているため、被告オーシャンリンクスのような中小の業者が、新規に参入することが難しいうえに、運賃コストの面でも太刀打ちできないからである。
また、被告オーシャンリンクスにおける配送スケジュールが、原告のものと似かよっているというのも、被告オーシャンリンクスに限らない。これは、同じ東南アジア及び台湾向け航路の輸出運送品を扱っていることのほか、これら業者が使用する船会社が信用のある大手の船会社であるために、結局、同じ船会社を利用しているからである。
3 被告オーシャンリンクスが、業界主要雑誌への広告の掲載という宣伝活動を行っていないことは認める。
しかしながら、前記一【被告らの主張】のとおり、本件名簿を使用しなくても、大阪市貿易業者名簿(乙六)を利用することにより、顧客開拓等の営業活動を行うことができるし、現に、被告オーシャンリンクスは、右名簿によって営業活動を行っている。
そもそも利用運送業において、荷主との契約は、一回一回の個別契約であって、継続的契約関係ではない。その都度、荷主との間で運賃の交渉がなされ、より安い運賃を提供する利用運送業者が成約することができるところ、運賃は景気に左右されて日々変化するものであるから、結局、日々の営業努力が顧客を獲得する最良の方法であり、これは、利用運送業界の原則でもある。原告から被告オーシャンリンクスに顧客が流れたとしても、それは、原告の運賃の設定自体に問題があったからにすぎない。
三 争点3(被告市村は、原告に対して、競業避止義務違反又は不法行為を構成する行為を行ったか)について
【原告の主張】
1 雇傭契約関係は、使用者と従業員との信頼関係を前提とする継続的な債権債務関係というべきであり、雇傭契約上、従業員は、労務の提供のみならず、使用者の正当な利益を右の信頼関係を破壊するような態様で侵害してはならないという付随的な義務も負い、右義務に反して使用者に損害を与えた場合には、債務不履行として、右損害を賠償すべきものと解される。従業員が、雇用契約の継続中に、使用者と競業関係にある企業を設立して、その利益となる行為をし、これにより使用者に損害を与えた場合には、右の信頼関係を破壊するものとして債務不履行責任を負うのである。そして、被告市村は、次の(一)ないし(三)の点からみて、競業避止義務違反に基づく債務不履行責任を負う。
(一) 被告市村は、原告に在職中の平成八年九月ごろから、原告の社員である栗田君男(営業部長代理)、貝原信義(営業部長)、福本加寿子(輸入営業課員)、大富理香(輸出船荷証券担当)、坂井清利(海外代理店経理担当)及び魚井陽子(輸入業務担当)に対し、被告オーシャンリンクスへの移籍を勧誘し、被告オーシャンリンクス設立後、大富理香、坂井清利及び魚井陽子の三名を移籍させた。
(二) 被告市村は、原告に在職中の平成八年一〇月一四日、原告と同じく利用運送業を目的とする被告オーシャンリンクスを設立し、自ら代表取締役に就任するとともに、原告に在職中の平成八年一一月一八日、利用運送業の許可を運輸大臣に申請し、同年一二月一三日、右許可を得た。
(三) 被告市村は、原告の在職中、取締役営業部長という肩書きを利用し、原告の社員栗田君男を通訳として同道して、次の<1>ないし<3>のとおり、原告の主要な取引先を訪問し、被告市村が原告から独立して被告オーシャンリンクスを設立するので、同社と取引を行うように要請した。
<1> 平成八年一〇月一八日から同月二〇日まで
フレイトリンクスエキスプレス社(シンガポール所在)
<2> 平成八年一二月七日及び八日
パンダインターナショナルトランスポーテーション社(台湾所在)
<3> 平成八年一二月一四日から同月一六日まで
ライズテックシッピングエイジェンシー社(香港所在)
2 被告市村は、原告の顧客である黒田電気株式会社やティエス国際株式会社等に対して、原告の海外業務はほとんど被告市村が担当していた、原告の社員の半数以上が被告オーシャンリンクスに移籍した等、真実に反する事実を告知し誹謗中傷行為を行った。
【被告らの主張】
1 被告市村の行為は、競業避止義務違反による債務不履行を構成するものではない。
(一) 被告市村が、原告社員の栗田君男、貝原信義、坂井清利、大富理香及び魚井陽子に対し、原告を退職後、自ら代表取締役となって被告オーシャンリンクスを設立する旨話したことは認めるが、これら五名に被告オーシャンリンクスに移籍するよう勧誘したことはない。
確かに、坂井清利、大富理香及び魚井陽子は、原告を退職し、その後被告オーシャンリンクスに入社しているが、これは、それぞれ原告に対して強い不満を抱いていたところ、被告市村が原告を退職する話をきき、自らも自発的に原告を退職したものである。被告市村は、これら三名に対して、あくまでも動機付けを与えたにすぎない。
(二) 被告市村は、交際費のストップや被告市村が保有していた原告の株式の買い戻しの要請等、原告から事実上の追出し行為を受け、退職を考えていたところ、年齢的に、退職後の生活基盤を確立しておく必要があることから、被告オーシャンリンクスを設立するなどその準備を行っただけである。しかし、退職するまでの間は、原告の営業マンとして懸命に営業活動を行い、原告の利益のために貢献してきた。
被告市村が被告オーシャンリンクスの代表者として、実質的に営業活動を開始したのは、原告を退職した後の平成九年二月中旬からである。それまでの間、事務所の什器、備品の購入、印刷物の準備、コンピュータのプログラミング、運送会社や船会社との価額交渉、従業員の募集、各貿易会社への挨拶まわり等に忙殺されていた。
(三) 被告市村が、原告在職中に、フレイトリンクスエキスプレス社、パンダインターナショナルトランスポーテーション社及びライズテックシッピングエイジェンシー社を訪問したことは認めるが、これは、原告を退職する旨の挨拶と被告オーシャンリンクスを設立したことの一般的な報告をすることを目的としていたにすぎない。具体的な取引の要請は、原告を退職した後の、平成九年二月頃に渡航した際に行った。
また、右三社を訪問した際、原告の業務に支障を来さないように土曜日、日曜日又は有給休暇を利用しており、また栗田君男は同人の好意で被告市村に同道したものである。
2 被告市村が原告主張の誹謗中傷行為をした事実は否認する。被告市村は、これらの会社を訪問して、原告を退職したことと被告オーシャンリンクスを設立したことの挨拶をしたにすぎない。
四 争点4(被告らが原告に対して損害賠償義務を負う場合に支払うべき金銭の額)について
【原告の主張】
被告らは、前記一、二のとおり、不正競争行為を行ったことにより、また、被告市村は、前記三のとおり、競業避止義務違反又は不法行為に当たる行為を行った結果、平成九年二月から本件訴えの提起までの間、少なくとも一〇〇〇万円の利益を上げた。
一方、本件は、不正競争行為の有無等に関する高度に技術的な紛争であり、原告は専門的知識を有する弁護士である原告代理人に本件訴訟の提起を依頼し、その報酬として日本弁護士連合会標準額である二九二万円を支払う旨約束し、よって、同額の損害を被った。
したがって、被告らは、原告に対し、各自、右の合計額一二九二万円を不正競争行為、競業避止義務違反又は不法行為に基づく損害賠償として支払う義務がある。
第四 争点に対する当裁判所の判断
一 争点1(本件名簿は、不正競争防止法二条四項にいう「営業秘密」に当たるか。)、争点2(一)(被告市村は、本件名簿を持ち出し、不正の競業等の目的で本件名簿を使用しているか。)、争点2(二)(被告オーシャンリンクスは、本件名簿を使用しているか。)及び争点3(被告市村は、原告に対して、競業避止義務違反又は不法行為を構成する行為を行ったか。)について
1 証拠(甲二、一〇、一一、乙一、六、七、一二、一三、一五、二三、原告代表者、被告オーシャンリンクス代表者兼被告市村本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告は、平成二年五月二九日、貨物運送取扱業、貨物運送取扱事業法に基づく第一種利用運送事業(外航海運)等を目的として設立された。現在、原告は、船会社の船腹又はコンテナを借り受けて、荷主から預かった荷物をこれらに積めて荷主が指定する地域へ輸出し、船会社に支払う運賃と荷主から受け取る運賃との利ざや及び荷さばき料金の利ざやにより利益を得るという利用運送事業を行っており、東南アジア向け航路及び台湾向け航路が中心である。
原告は、得意先名簿として、本件名簿を作成している。本件名簿には、SHIPPER NAME(荷主)、ADDRESS(住所)、TEL(電話番号)、FAX(ファックス番号)、ATTN(担当者)の欄が設けられ、原告の顧客のうち、輸出の積荷実績のある固定客合計一九二社分の住所、電話番号、ファックス番号及び担当者名が記載されている。
(二) 被告市村は、平成二年七月二一日、原告に入社し、後記のとおり、平成八年一二月三一日に退職するまで、登記はされていないが取締役営業部長の肩書きで、営業等の職務に従事していた。
被告市村は、原告に入社する前、内外フォアディングに三年間、南里貿易に約六年間、南里通商に約六年間、オコンジャパン株式会社に約一八年間、中外海運倉庫に約一年半、勤務していた。内外フォアディング及び中外海運倉庫はいずれも通関業者(荷主から荷物を預かって輸出許可を取り、荷主が指定する船会社の倉底まで当該荷物を運送する業務を行う業者)であり、また、オコンジャパン株式会社では日本で買い付けた商品についての船積み業務を担当するなど、被告市村は原告に入社する前から貿易又はその関連業務を行う会社に勤務していたものである。
(三) 被告市村は、平成八年一〇月一四日、自ら代表取締役となって、利用運送業、海陸空複合運送事業の代理業等を目的とする被告オーシャンリンクスを設立した。
そして、被告オーシャンリンクスは、同年一一月一八日付で運輸大臣に対し第一種利用運送事業(外航船舶利用)の許可を申請し、同年一二月一三日、許可を受けた。被告オーシャンリンクスは、平成九年二月頃から、原告と同様の利用運送事業を本格的に行い始めたが、その中心は東南アジア航路及び台湾航路である。
(四) 被告市村は、原告社員の栗田君男を同道して、原告に在職中の平成八年一〇月一八日から同月二〇日までフレイトリンクスエキスプレス社(シンガポール所在)、同年一二月七日及び八日にパンダインターナショナルトランスポーテーション社(台湾所在)、同月一四日から一六日までライズテックシッピングエイジェンシー社(香港所在)を訪問したが、これら三社はいずれも原告の取引先であった。
(五) 被告市村は、原告代表者に対し、同年一二月初めに原告を退職したい旨の申し出をし、同月三一日付で退職した。
(六) 被告市村が原告を退職した後、原告の社員であった坂井清利、大富理香及び魚井陽子が相次いで原告を退職し、被告オーシャンリンクスに入社した。
2(一) 右1で認定したとおり、本件名簿には、荷主、住所、電話番号、ファックス番号、担当者の欄が設けられ、原告の顧客のうちの実績のある固定客合計一九二社の貿易業者名、その住所、電話番号、ファックス番号及び担当者名が記載されており、いずれも、原告が過去に東南アジア航路又は台湾向け航路を利用して荷物を運送する取引をしたことがあるもので、その大半は大阪市内に住所を有する(甲二)。
被告らは、本件名簿に記載されている個々の貿易業者の会社名、住所、電話番号、ファックス番号は公知である、担当者名が判明しているか否かで営業活動上特段の不便はない、各貿易業者がどの方面に向けた輸出品を扱っているかは例えば大阪市貿易業者名簿から知ることもできると主張して、本件名簿の有用性及び非公知性を争う。確かに、乙第六号証(社団法人大阪輸出入協会発行「大阪市貿易業者名簿」)に、貿易業者の会社名、住所、電話番号、ファックス番号のほか、輸出品名及び輸出先、輸入品名及び輸入先等が記載されていること、乙第一二号証(社団法人神戸貿易協会発行「会員名簿」)に、貿易会社名、住所、電話番号、ファックス番号のほか、輸出品名、輸入品名等が記載されていること、乙第一三号証(インド商社会議所発行「商業名簿」)に、個々の貿易業者の会社名、住所、電話番号、ファックス番号のほか、取扱商品が記載されていることが認められ、このことからすると、本件名簿でなくとも、貿易業者の会社名、住所、電話番号、ファックス番号のほか、その取扱商品や輸出輸入先を知る方法は存するということができる。しかし、乙第六、第一二、第一三号証のそれぞれに記載されている貿易業者は、いずれも社団法人大阪輸出入協会(乙六)、社団法人貿易協会(乙一二)、インド商社会議所(乙一三)にそれぞれ加盟しているもので、これを五十音順(乙六、一二)に収録したにすぎず、その取扱商品や輸出入先別に整理されているわけではない。もちろん、時間と労力を費やすことさえすれば、これらの名簿の中から東南アジア又は台湾向け輸出品を扱っている貿易業者を抜き出すことは可能であろうが、例えば、乙第六号証の「大阪市貿易業者名簿」には約四〇〇〇社の貿易業者が掲載されており、右のような作業を行うには相当の時間と労力を要することも間違いない。これに対して、本件名簿に記載されている貿易業者は、以前、原告が東南アジア又は台湾向け航路を利用して輸出品を運送する取引をしたことがあるもののみであり、原告代表者本人尋問の結果によれば、原告の顧客数は、輸出入を合わせて三〇〇〇ないし四〇〇〇社程度あることが認められるので、そのうち繰り返し取り引きすることが予想できる固定客一九二社を選別し、担当者も記載した本件名簿は、原告の事業活動に有用なものということができる。もっとも、乙第一〇号証(被告市村の陳述書)中には、担当者はよく代わることがあるし、担当者名が判らなくても実際の営業活動では支障がないとの記載があるが、同号証でも、利用運送事業の分野では担当者同士の人間関係が大変重要であるとされているし、被告市村本人尋問の結果においても、被告オーシャンリンクス自身が作っている顧客のリストにも担当者名を記載しており、その記載は役に立つことを認めている。
以上によれば、個々の貿易業者の会社名、住所、電話番号、ファックス番号、担当者名を記載した本件名簿は、少なくとも有用性を有することは肯定できる。
(二) 原告は、本件名簿は原告代表者、総務部長、被告市村及び営業担当者二名の合計五名のみが所持を許され、しかも、その取扱に注意するよう営業会議の際などに話していたのであるから、秘密として管理されていたと主張し、原告代表者もこれに沿う供述をしているところ、本件名簿を原告代表者、総務部長、被告市村及び営業担当者二名の合計五名が所持していたことにつき当事者間に争いはないものの、本件全証拠によるも、右五名以外の原告社員は本件名簿を見ることができなかったとか、営業会議の際などに、本件名簿の重要性を原告代表者が話していたという点を裏付ける事実を認めることはできない。
したがって、本件名簿につき、秘密管理性を認めることは困難といわざるを得ない。
(三) そうすると、本件名簿が不正競争防止法二条四項にいう「営業秘密」に当たるとはいえない。
3 被告市村が原告を退職するに当たって本件名簿を原告に返還していないこと、被告オーシャンリンクスは広告を掲載するなどの方法による宣伝広告活動を行っていないことにつき当事者間に争いはない。そして、原告は、被告オーシャンリンクスの荷主として甲第七号証(ライズテック・シッピング・エイジェンシーズ・リミテッドから原告に当てた書簡)に記載された貿易会社のうち、★印のついたものは本件名簿に記載されていることを根拠に、被告市村は本件名簿を持ち出し被告オーシャンリンクスに開示し、被告オーシャンリンクスはこれを使用して営業活動をしていると主張する。
しかしながら、乙第一五号証、被告市村本人尋問の結果によれば、甲第七号証の成立自体に疑義があるばかりでなく、甲第七号証に記載されており、原告が被告オーシャンリンクスの取引先であると主張する貿易会社の中には、実際には被告オーシャンリンクスとの取引がないものが含まれている(被告市村)こと、前記1で認定したとおり、被告市村は、原告に入社する以前から貿易関係の業務に従事し、また、原告に在職中も営業を担当していたのであり、しかも、原告では営業担当者の間でとくに担当する個々の貿易会社が固定されていたわけではないこともあって、原告の取引先をほぼ把握していたし、営業に当たっては被告市村は従前からの知り合いを頼って取引関係を作っていったこと(被告市村)、原告代表者自身、原告代表者自身の人脈等を基礎にして原告を設立して営業活動を行い、取引関係を作っていったこと(原告代表者)からすると、甲第七号証に記載されている貿易会社のうち★印のついたものが、本件名簿にも記載されているからといって、直ちに、被告オーシャンリンクスは本件名簿を使用して営業活動を行っており、その前提として、被告市村が原告を退職するに当たって本件名簿を持ち出して被告オーシャンリンクスに開示するなどしたと推認することはできない。他にこのことを認めるに足りる証拠もない。
4(一) 原告は、被告市村は雇用契約から生じる競業避止義務に違反し債務不履行責任を負うと主張するところ、被告市村は、原告に在職中の平成八年一〇月一四日に被告オーシャンリンクスを設立し、被告オーシャンリンクスは、同年一一月一八日に利用運送業の許可を運輸大臣に申請し、同年一二月一三日に右許可を得たこと、同年一〇月一八日から二〇日までフレイトエキスプレス社(シンガポール所在)を、一二月七日及び八日にパンダインターナショナルトランスポーテーション社(台湾所在)を、一二月一四日から一六日までライズテックシッピングエイジェンシー社(香港所在)を、原告社員の栗田君男を同道して訪問したこと、原告の社員坂井清利、大富理香及び魚井陽子が原告を退職し、被告オーシャンリンクスに入社していることは前示のとおりである。
本件においては、原告と被告市村の間に原告在職中の競業避止を定めた明文の規定は存しないが、もともと雇用契約は、使用者及び被用者間の信頼関係を前提とする継続的契約関係であるから、在職中に従業員が競業を行い、右信頼関係を破壊した場合には、明文の規定がなくとも、従業員は債務不履行責任を負う場合があることは否定できないというべきである。
しかしながら、本件の場合、被告市村は、原告に在職中の平成八年一〇月一四日に被告オーシャンリンクスを設立し、被告オーシャンリンクスは同年一一月一八日に利用運送業の許可を運輸大臣に申請し、同年一二月一三日に右許可を得ているものの、直ちに原告と同種の事業を始めたことを認めるに足りる証拠はなく、また、被告市村が、前記のとおり、原告在職中に海外の三社を原告社員の栗田君男を同道して訪問した際にも、これら三社に対して被告オーシャンリンクスとして具体的な営業活動を行ったと認めるに足りる証拠もない。さらに、被告市村が訴外坂井等に対し原告を退職して被告オーシャンリンクスに入社するよう勧誘行為を行ったこと自体を認めるに足りる証拠はないし、仮に勧誘行為を行っていたとしても、そもそも利用運送業の業界では、他社の社員を引き抜くことはよくある(原告代表者)ことというのであるから、勧誘行為を行ったことが直ちに競業避止義務に反しているということはできず、勧誘行為の具体的態様、勧誘を受けた者の事情、原告の業務に与えた影響等を検討すべきところ、本件全証拠によるも信頼関係を破壊するものであったことを認めるに足りる証拠もない。
(二) 原告は、さらに、被告市村が原告の顧客である黒田電気株式会社やティエス国際株式会社等に対して、原告の海外業務はほとんど被告市村が担当していた、原告社員の半数以上が被告オーシャンリンクスに移籍したなど、真実に反する事実を告知し、誹謗中傷を行ったのであって、かかる被告市村の行為は原告に対する不法行為を構成する旨主張し、原告代表者はこれに沿う供述をするが、これを裏付ける的確な証拠はなく、右事実を認めるには足りない。
二 以上のとおりであるから、争点4について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
よって、主文のとおり、判決する。
(平成一〇年一〇月二七日口頭弁論終結)
(裁判長裁判官 小松一雄 裁判官 高松宏之 裁判官 小出啓子)